新選組(しんせんぐみ)は、幕末の京都で治安維持にあたった浪士の組織です。

江戸幕府が募集した浪士組から分かれ、京都守護職・松平容保の庇護のもとで、尊皇攘夷派の摘発を担いました。
発足時の隊士は24名(諸説あり)で、最も多いときには約230名がいたとされます。

このサイトの主人公である小栗忠順と、新選組には共通点があります。
どちらも幕府の側で働き、負けた側になったことで「逆賊」とされた、という点です。
このページでは、新選組が実際に何をしていた組織なのかを、結成から解散まで通して見ていきます。

新選組とは|3行でまとめると

  • 幕府が募った浪士組から分かれ、京都の治安維持を担った会津藩預かりの非正規組織
  • 隊士の多くは町人・農民出身の浪士。慶応3年(1867年)6月にようやく幕臣に取り立てられた
  • 戊辰戦争で旧幕府軍とともに転戦し、明治2年(1869年)に事実上消滅した

「新選組」と「新撰組」はどちらが正しいのか

どちらの表記も、当時の史料に出てきます。
局長の近藤勇をはじめ、隊士たちが残した手紙でも両方の字が使われていました。

明治以降に公的機関が編んだ史料集でも、『維新史料綱要』は「新撰組」、『復古記』は「新選組」と割れています。

ただし、隊の公印が押された文献では「選」の字が使われています。
そのため2004年ごろから、高校の日本史教科書では「新選組」の表記が増えました。
報道機関でも「撰」が常用漢字外であることから「新選組」が一般的です。

このページでも「新選組」で統一します。

何をしていた組織か

幕末の京都には、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の志士が集まっていました。
京都所司代と京都町奉行だけでは治安を保てないと判断した幕府が、清河八郎の献策を受けて浪士組の結成を企図します。

新選組が任されたのは、不逞浪士の取り締まりと市中警備でした。
元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件が、その活動を代表する出来事として知られています。

一方で、商家から強引に資金を出させたり、隊の規則に反した者を次々に粛清したりと、内部の抗争も絶えませんでした。

京都見廻組との違い

新選組とよく混同されるのが、同じく京都にいた京都見廻組です。
坂本龍馬を暗殺したのは見廻組だとする説が、現在の定説になっています。

比べる点 新選組 京都見廻組
立場 会津藩預かりの非正規組織 幕府の正規組織
構成 町人・農民出身の浪士が多い 旗本・御家人(幕臣)
身分 慶応3年6月に幕臣へ取り立て 最初から幕臣

つまり新選組は、幕府のために働きながら、長く幕臣ではなかった組織です。

※イラストと会話は、このサイトの案内役として人物の姿を借りたものです。実際の発言ではありません。

近藤勇

近藤勇

京都で幕府のために働いてはいましたが、われらが幕臣に取り立てられたのは慶応3年6月です。それまでは会津藩お預かりの非正規でした。

小栗忠順

小栗忠順

同じ側で戦い、同じように逆賊と呼ばれた。だが出発点は違う。わしは初めから幕臣だ。

小栗忠順のように生まれながらの旗本だった人物とは、出発点がまったく違います。

結成から解散まで

年 出来事
文久2年(1862年) 幕府が将軍警護の名目で浪士を募集
文久3年(1863年)2月 浪士組200名あまりが中山道を西へ
同年3月 清河八郎の意図が発覚。近藤勇・土方歳三らが京都残留を主張し壬生浪士組を結成
同年8月 八月十八日の政変の警備に52人が出動。「新選組」の隊名を拝命
元治元年(1864年)6月 池田屋事件
慶応3年(1867年)6月 幕臣に取り立てられる
慶応3年10月 徳川慶喜が大政奉還
慶応4年(1868年)1月 鳥羽・伏見の戦いで敗北。井上源三郎が戦死し、江戸へ撤退
同年 甲陽鎮撫隊と改め甲州へ向かうが、甲州勝沼の戦いで板垣退助の迅衝隊に敗退
同年4月 近藤勇が流山で捕らえられ処刑。沖田総司は肺結核で死去
同年 宇都宮城の戦い・会津戦争。会津で斎藤一らが離隊
明治2年(1869年)5月 箱館で土方歳三が戦死。五稜郭の降伏で事実上消滅

隊名の「新選組」を誰から賜ったかについては、武家伝奏からとする説と、松平容保からとする説の二つがあります。

戊辰戦争の途中で、永倉新八・原田左之助が方針の違いから離隊して靖兵隊を結成しました。
原田はその後、彰義隊に加わり上野戦争で戦死したとされます(諸説あり)。

そして明治政府は、隊士の遺族に遺品を持つことを禁じました。
負けた側がどう扱われたかが、ここに表れています。

組織のしくみ

トップは局長、その下に局長を補佐する副長がいました。

  • 局長 … 近藤勇
  • 副長 … 土方歳三
  • 副長助勤 … 組長として平隊士を率いる
  • 監察方 … 内務監察
  • 勘定方 … 会計

隊は一番組から十番組まであり、各組の人員は10名前後。組長の下に伍長を置きました。

注目すべきは、職務を一人が担う「一人制」をとっていたことです。
江戸時代の各組織は職務の複数制が原則だったため、ここには洋式軍制の影響が指摘されています。

同じころ、小栗忠順は幕府の軍制を洋式へ切り替える改革に関わっていました。
組織のかたちを西洋に合わせるという動きは、幕府の内と外で同時に起きていたことになります。

「局中法度」は本当にあったのか

新選組といえば「士道ニ背キ間敷事」で始まる局中法度の5か条が有名です。
違反した隊士は切腹——という話も広く知られています。

ただし、ここは慎重に扱う必要があります。

  • 5か条の形で有名になったのは、子母沢寛が昭和3年(1928年)に書いた『新選組始末記』から
  • 同時代の史料で、この5か条をすべて記録したものは現在まで見つかっていません
  • 永倉新八が大正2年(1913年)に語った内容(『小樽新聞』掲載、のちの『新選組顛末記』)には4か条しか出てこず、名称も「局中法度」ではなく「禁令」「法令」
  • 別に定められていた「軍中法度」を混ぜて、子母沢寛が脚色したものと推測されています

隊規そのものが厳格に運用されていたことは事実です。
ただ、いま語られる「5か条の局中法度」という形は、昭和になってから広まったものだということです。

数字で見る新選組

項目 数
発足時の隊士 24名(諸説あり)
最盛期の隊士 約230名
鳥羽・伏見以前の5年間の隊内死者 45名
うち倒幕志士との戦闘による死者 6名

内部の死者45名のうち、敵との戦闘で死んだのは6名だけです。
残りのほとんどは切腹や暗殺、つまり粛清に関わるものでした。

新選組は捕縛を前提とした組織だったため、外に対しては無闇に人を殺さない一方、内側は死を厭わない厳しさで統制していた——という数字になります。

「逆賊」とされた側から見ると

新選組は、逆賊を取り締まる立場の組織でした。
それが明治維新で敗れたことにより、逆に「逆賊は新選組のほうだ」という扱いを受けます。

2004年の大河ドラマ『新選組!』で脚本を担当した三谷幸喜さんも、この点を指摘しています。

同じことが、小栗忠順にも起きました。
幕府の役人として日本の近代化の土台をつくった人物が、明治政府から「逆賊」とされ、取り調べも受けないまま斬られています。
2027年の大河ドラマのタイトル『逆賊の幕臣』は、そのレッテルをそのまま掲げたものです。

勝った側が歴史を書くと、負けた側の呼び名が変わる。
新選組を知ることは、この作品の前提を知ることでもあります。

→ 小栗忠順とは何をした人か|生涯をわかりやすく解説

映像作品のなかの新選組

新選組は、幕末の題材のなかでも繰り返し映像化されてきました。

放送年 作品 主演(役)
1965年 新選組血風録 栗塚旭(土方歳三)
1990年 燃えよ剣 役所広司(土方歳三)
2004年 新選組!(NHK大河ドラマ) 香取慎吾(近藤勇)
2006年 新選組!! 土方歳三 最期の一日(NHK正月時代劇) 山本耕史(土方歳三)
2007年 輪違屋糸里〜女たちの新選組〜 上戸彩(糸里)

大河ドラマとして新選組を主題にしたのは、2004年の『新選組!』です。
脚本は三谷幸喜さん、主演は香取慎吾さんで近藤勇を演じました。
2006年の正月時代劇『新選組!! 土方歳三 最期の一日』は、山本耕史さんが土方歳三を演じた続編にあたります。

主題ではない大河にも、新選組は登場します。
2021年の『青天を衝け』では、町田啓太さんが土方歳三を演じました。

『新選組!』と『新選組!! 土方歳三 最期の一日』は、どちらもNHKオンデマンドで配信されています。

→ 幕末が舞台の大河ドラマ一覧|時代順に見どころを紹介

よくある質問

新選組は何をしていた組織ですか

幕末の京都で、不逞浪士の取り締まりと市中警備を担っていました。
京都守護職・松平容保の庇護を受けた、会津藩預かりの組織です。

新選組と新撰組はどちらが正しいですか

どちらの表記も当時使われていました。
ただし隊の公印は「選」の字で、いまの教科書や報道では「新選組」が一般的です。

隊士は何人いましたか

発足時が24名(諸説あり)、最盛期には約230名がいたとされます。

局中法度は実在したのですか

隊規が厳しく運用されていたことは事実ですが、いま知られる5か条の形は昭和3年の『新選組始末記』で広まったもので、同時代の史料に5か条をすべて記録したものは見つかっていません。

坂本龍馬を暗殺したのは新選組ですか

事件直後は疑われましたが、現在の定説は京都見廻組です。

新選組はいつなくなったのですか

明治2年(1869年)5月、箱館で旧幕府軍が降伏したことにより事実上消滅しました。


もっと深く知りたい場合は、幕末の人物をまとめた事典と、書籍のページがあります。

→ 幕末の人物事典|小栗忠順と同じ時代を生きた人々

→ 小栗忠順を知るための本|小説・新書・漫画のおすすめ

情報の誤りを報告