「上野介(こうずけのすけ)」は名前ではなく、官職の名前です。

だから、まったく別の人物が同じ呼び名を持ちます。
忠臣蔵で討たれた吉良上野介と、2027年の大河ドラマの主人公小栗上野介は、生きた時代が150年ほど離れた別人です。

さらに「小栗」まわりには、名前が近い人物がもう2人います。
俳優の小栗旬さんと、江戸初期の武将小栗忠政です。
このページで、まとめて整理します。

ひと目でわかる4人の違い

呼び名 本名・読み いつの人 何をした人
吉良上野介 吉良義央(きら よしひさ) 1641〜1703年 江戸城の儀礼をつかさどる高家旗本。赤穂事件で討たれた
小栗上野介 小栗忠順(おぐり ただまさ) 1827〜1868年 幕末の幕臣。勘定奉行・外国奉行。横須賀製鉄所を建てた
小栗忠政 小栗忠政(おぐり ただまさ) 1555〜1616年 徳川家康に仕えた武将。小栗忠順の直系の先祖
小栗旬 小栗旬(おぐり しゅん) 1982年〜 俳優。大河ドラマに10作出演している

同姓同名に見えるところがあります。
小栗忠順と小栗忠政は、字は違いますが読みがどちらも「ただまさ」です。

なぜ2人とも「上野介」なのか

上野介は、上野国(いまの群馬県)の役所のナンバー2を指す官職名です。

ふつう、国の長官は「守(かみ)」です。
ところが上野国・上総国・常陸国の3か国だけは、826年に定められた親王任国という制度の対象でした。

  • この3か国の長官は、必ず親王が任命される
  • 呼び名も「守」ではなく「太守」
  • 太守は現地へ赴任しないため、実務上のトップは次官の「介」になる

つまり「上野守」は親王だけが名乗れる官職で、武士は名乗れません。
そのため江戸時代になっても、上野国に関わる官職を与えられた武士は「上野介」になりました。

本多正純、吉良義央、小栗忠順が並んで「上野介」なのは、この慣例のためです。
織田信長が「上総介」を名乗ったのも同じ理屈になります。

この官職名は、実際にその土地を治めているかどうかとは関係ありません。
江戸時代の武士にとっては、家格に応じて与えられる称号でした。

※イラストと会話は、このサイトの案内役として人物の姿を借りたものです。実際の発言ではありません。

小栗鉞子

小栗鉞子

忠臣蔵の吉良さまと、父上が同じお名前なのはどうしてですか。

小栗忠順

小栗忠順

名ではない。上野介は役目の名だ。上野国の長官は親王しか名乗れぬ決まりだから、武士に回ってくるのは次官の介になる。それで時代の違う者が同じ呼び名になるのだよ。

→ 小栗忠順の読み方と呼び名|上野介・又一・豊後守の違い

吉良上野介とは|赤穂事件で討たれた高家

吉良義央は、江戸幕府の高家旗本でした。
高家とは、朝廷との儀礼や、勅使の接待といった格式を扱う役職です。
義央はその筆頭にあたる高家肝煎まで務め、官位は従四位上・左近衛権少将まで上がっています。

家柄は名門でした。
清和源氏の足利家から分かれた一族で、室町時代には「足利将軍家が絶えたら次は吉良から」と言われたほどです。
曾祖父の吉良義定は徳川家康の従兄弟にあたります。

事件の流れは次のとおりです。

年月日(和暦) 出来事
元禄14年3月14日 勅使の接待役だった浅野長矩が、江戸城内で義央に斬りかかる(松の廊下)
同日 浅野は改易・切腹。義央は咎めなしで、のちに隠居
元禄15年12月14日 大石良雄ら赤穂浪士が本所の吉良邸へ討ち入る
元禄15年12月15日 義央が討たれる。首は泉岳寺の浅野の墓前へ
その後 浪士は各藩の江戸屋敷で切腹。養子が継いだ吉良家4200石は改易

この赤穂事件をもとにした演劇「忠臣蔵」で、義央は悪役として描かれました。
一般に知られる「吉良上野介」の像は、ほとんどがここから来ています。

「悪役」も「名君」も、後から作られている

三河の一部では、義央を地元の名君として教える見方があります。
黄金堤を築いた、新田を開いた、塩田を開発した——という治績です。

ただし近年の研究では、その根拠のほうも後から作られたと見られています。

  • 吉良家が3代にわたって書き継いだ『吉良家日記』に、これらの事業の記録が一切ない
  • 江戸時代の史料にも見つかっていない
  • 吉良家は上杉家に借金を肩代わりさせるほどの財政状況で、大きな治水事業を独自に行える状態ではなかった
  • 義央が三河の領地を訪れたことが確認できるのは、生涯で一度だけ(延宝5年11月)

つまり、悪役としての像も、名君としての像も、どちらも後の時代に形づくられたものだということです。

負けた側や討たれた側の評価は、後から書き換えられる。
これは、明治政府から「逆賊」とされた小栗忠順にも重なる話です。

小栗上野介とは|幕末の幕臣

小栗忠順は、幕末の旗本です。
文政10年(1827年)に江戸の駿河台(現在の東京都千代田区)で生まれました。

官職の変遷は次のようになっています。

  • 安政6年(1859年) … 従五位下・豊後守に叙任
  • 文久3年(1863年) … 上野介に遷任

つまり「小栗上野介」と呼ばれるのは、1863年より後のことです。
それ以前の史料では「小栗豊後守」になります。

勘定奉行・江戸町奉行・外国奉行などを歴任し、横須賀製鉄所の建設、洋式軍隊の整備、幕府の財政再建にあたりました。
慶応4年(1868年)に徳川慶喜の恭順に反対して罷免され、領地の上野国群馬郡権田村(群馬県高崎市倉渕町権田)へ引きあげたのち、取り調べもないまま斬られています。

→ 小栗忠順とは何をした人か|生涯をわかりやすく解説

2人とも上野国に領地を持っていた

まぎらわしいことに、吉良義央にも上野国に1000石の領地がありました。
緑野郡の白石村、碓氷郡の人見村・中谷村です。白石は現在の群馬県藤岡市にあたります。

小栗忠順の権田村は群馬郡なので、場所は違います。
2人の領地が同じ国にあったのは、官職名とは関係のない偶然です。

小栗忠政|小栗忠順の先祖

小栗忠政は、安土桃山時代から江戸初期の武将です。
小栗忠順は、この人の直系の子孫にあたります。

13歳で徳川家康の小姓となり、姉川の戦いでは家康のそばで戦って名槍を与えられました。
合戦のたびに一番槍を果たしたことから、それまでの「又市」を改め、「又もや一番槍」の意で「又一」という通称を授かったと伝わります。

この「又一」は、その後小栗家の当主が代々名乗る通称になりました。
幕末の小栗忠順も、家督を継いだときに又一を称しています。

小栗鉞子

小栗鉞子

ご先祖さまも「おぐりただまさ」とお読みするのですね。

小栗忠順

小栗忠順

字が違う。あちらは忠政、わしは忠順だ。又一という通称のほうは、その先祖から代々受け継いだもので、わしも家督を継いだときに名乗った。

忠政は関ヶ原の戦いなどの戦功で、上野国・武蔵国・下総国あわせて2550石の旗本となり、武蔵国足立郡大成(現在の埼玉県さいたま市大宮区大成町)に入りました。
このとき近くの普門院を復興させて小栗家の菩提寺とし、いまも30基の墓碑が並んでいます。

小栗忠順の墓所も、東善寺・雑司ヶ谷霊園とあわせてこの普門院にあります。
「小栗上野介 さいたま市」で検索して出てくるのは、この普門院のことです。

→ 東善寺へのアクセスと見どころ|小栗上野介の墓と遺品館

俳優の小栗旬さんとの関係

俳優の小栗旬さんが小栗忠順を演じる、という発表はありません。

『逆賊の幕臣』で小栗忠順を演じるのは松坂桃李さんです。
2026年10月9日の第8弾までに発表された32人の配役にも、小栗旬さんの名前は入っていません。

混ざりやすいのは、小栗旬さんが大河ドラマの常連だからです。
出演は次の10作にのぼります。

放送年 作品 役
1995年 八代将軍吉宗 徳川宗翰
1996年 秀吉 佐吉(石田三成の少年期)
2000年 葵 徳川三代 細川忠利
2005年 義経 梶原景季
2009年 天地人 石田三成
2013年 八重の桜 吉田松陰
2018年 西郷どん 坂本龍馬
2022年 鎌倉殿の13人 主演・北条義時
2023年 どうする家康 南光坊天海
2026年 豊臣兄弟! 織田信長

幕末の役も2つ演じています。
『八重の桜』の吉田松陰と、『西郷どん』の坂本龍馬です。
名字が同じで、しかも幕末の大河に出ている——検索で混ざる理由はここにあります。

なお、小栗旬さんは1982年生まれの東京都小平市出身で、父は舞台監督です。
2022年の『鎌倉殿の13人』では主演を務めました。

→ 逆賊の幕臣のキャスト一覧|登場人物と配役をまとめて紹介

検索でよく混ざる地名

地名 どちらの話か
三河 吉良家の本領(幡豆郡吉良庄)。小栗家も三河小栗氏で、忠順は第12代当主
群馬・高崎 小栗忠順の領地、権田村
群馬・藤岡 吉良義央の領地、白石村
さいたま市 小栗忠政が入った大成と、小栗家の菩提寺・普門院
千代田区 小栗忠順が生まれた駿河台

「三河」はどちらにも当てはまるので、ここがいちばん取り違えやすいところです。
吉良家も小栗家も、徳川家とともに三河から出た家という点は共通しています。

よくある質問

吉良上野介と小栗上野介は同じ人ですか

別人です。
吉良上野介は1641年から1703年の人で、小栗上野介は1827年から1868年の人です。

なぜ同じ「上野介」なのですか

上野介が名前ではなく官職名だからです。
上野国は親王任国で「守」を武士が名乗れなかったため、次官にあたる「介」が使われました。

小栗上野介は小栗旬さんの先祖ですか

そうした発表や記録は確認できません。
小栗旬さんは俳優で、『逆賊の幕臣』の配役にも名前は入っていません。

小栗忠政と小栗忠順は別人ですか

別人です。
読みはどちらも「おぐり ただまさ」ですが、忠政は江戸初期の武将で、忠順はその直系の子孫にあたる幕末の幕臣です。

大河ドラマで吉良上野介は描かれますか

『逆賊の幕臣』は幕末が舞台なので、時代が150年ほど違います。
吉良上野介が登場する作品としては、忠臣蔵を扱った作品を探すことになります。

小栗忠順の墓はどこにありますか

群馬県高崎市倉渕町の東善寺のほか、東京の雑司ヶ谷霊園、さいたま市大宮区の普門院にもあります。


幕末の人物をまとめて追いたい場合は事典を、本で読みたい場合は書籍のページを用意しています。

→ 幕末の人物事典|小栗忠順と同じ時代を生きた人々

→ 小栗忠順を知るための本|小説・新書・漫画のおすすめ

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