渋沢栄一(しぶさわ えいいち)は、約500社の設立・経営に関わった実業家です。

「日本資本主義の父」と呼ばれ、2024年からは一万円札の肖像になりました。
2021年の大河ドラマ『青天を衝け』では、吉沢亮さんが主演で演じています。

ただ、実業家になる前の渋沢栄一は幕臣でした。
小栗忠順と同じ立場から出発しながら、二人はまったく違う結末を迎えます。

渋沢栄一とは|3行でまとめると

  • 武蔵国の豪農の生まれ。一橋家の家臣から、慶喜の将軍就任にともなって幕臣になった
  • パリ万博の随員としてヨーロッパを回り、そこで見た近代社会が人生を変えた
  • 明治後は第一国立銀行(現・みずほ銀行)をはじめ約500社に関わった

経歴の流れ

年 出来事
天保11年(1840年) 武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市)の豪農の家に生まれる
文久3年(1863年) 高崎城の乗っ取りを計画するが中止
元治元年(1864年) 一橋家に仕える
慶応2年(1866年)12月 主君・徳川慶喜の将軍就任にともない幕臣となる
慶応3年(1867年) 徳川昭武の随員としてパリ万博へ。ヨーロッパ各国を訪問
慶応4年(1868年)11月 横浜へ帰国
明治2年(1869年)〜 民部省・大蔵省へ。初代租税正、初代紙幣頭
明治6年(1873年) 大蔵省を退官し実業界へ。第一国立銀行を設立
大正5年(1916年) 『論語と算盤』を刊行
昭和6年(1931年) 死去

農民から幕臣へ

渋沢栄一は武士の生まれではありません。
武蔵国血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の豪農の家に生まれています。

若い頃は攘夷思想に傾き、高崎城を乗っ取る計画まで立てました。
それが中止になったあと、一橋家に仕えます。

そして慶応2年(1866年)12月、主君の徳川慶喜が将軍になったことで、渋沢栄一も幕臣になりました。
農民から武士へ、そして幕府の役人へ。異例の経歴です。

※イラストと会話は、このサイトの案内役として人物の姿を借りたものです。実際の発言ではありません。

小栗忠順

小栗忠順

高崎城を乗っ取ろうとした男が、幕府の役人になったのか。

渋沢栄一

渋沢栄一

一橋家に仕えておりましたところ、主君が将軍におなりでしたので。そのまま幕臣になった、という次第でございます。

パリ万博がすべてを変えた

慶応3年(1867年)、パリ万国博覧会に将軍の名代として出席する徳川昭武(慶喜の異母弟)の随員として、渋沢栄一はフランスへ渡ります。
肩書は御勘定格陸軍付調役でした。

現地では通訳兼案内役だったアレクサンダー・フォン・シーボルトから語学と諸外国の事情を学び、ヨーロッパ各国の産業や制度を見て回ります。

この一年半が渋沢栄一の人生を変えました。
洋装を整え、髷を切り、送られてきた写真を見た妻は嘆いたと伝わります。

株式会社という仕組み、銀行という仕組み、そして人間平等主義。
帰国後に彼が日本へ持ち込もうとしたものは、すべてこのときの見聞に根があります。

小栗忠順との対比

渋沢栄一がパリにいた頃、日本では小栗忠順が同じことを考えていました。

小栗はアメリカを見て帰国し、横須賀に造船所を作り、日本初の株式会社にあたる兵庫商社を立ち上げています。
渋沢はヨーロッパを見て、帰国後に第一国立銀行を作りました。

やろうとしたことは、ほとんど同じです。

違ったのは、そのときどこにいたかでした。

小栗忠順 渋沢栄一
生まれ 江戸の旗本(禄高2,500石) 武蔵国の豪農
見た国 アメリカ(1860年・遣米使節) ヨーロッパ(1867年・パリ万博)
慶応4年 1月に罷免、閏4月に斬首 フランス滞在。11月に帰国
その後 — 明治政府へ出仕、のち実業界で約500社

小栗が斬られたのは慶応4年閏4月6日です。
渋沢が横浜へ帰り着いたのは、その約7か月後でした。

小栗忠順

小栗忠順

そちらはヨーロッパ、わしはアメリカ。持ち帰ろうとしたものは、ほとんど同じだったな。

渋沢栄一

渋沢栄一

株式の仕組みと、銀行の仕組みでございます。違ったのは慶応四年にどこにいたかだけでした。私がフランスから横浜へ戻りましたのは、あなたが斬られて七か月あとのことです。

二人が交わした会話

渋沢栄一が渡欧する前、会計のことが心配だと小栗に相談した話が伝わっています。

このとき小栗は「あなたは5年も先のことを心配する柄ではないでしょう。だいたい討幕を企てたほどの人ではないか」と冗談を返し、渋沢をしどろもどろにさせたといいます。

→ 小栗忠順とは何をした人か|生涯をわかりやすく解説

第一国立銀行と約500社

明治6年(1873年)、渋沢栄一は大蔵省を退き実業界へ移ります。

  • 第一国立銀行(現在のみずほ銀行)
  • 東京商法会議所(現在の東京商工会議所)
  • 東京証券取引所

関わった企業は約500社にのぼり、五代友厚とあわせて「東の渋沢、西の五代」と並び称されました。

企業だけではありません。

  • 福祉 — 東京養育院、社会福祉協議会
  • 医療 — 東京慈恵会、聖路加国際病院
  • 教育 — 商法講習所(現・一橋大学)、大倉商業学校(現・東京経済大学)、二松學舍(現・二松学舎大学)
  • 研究 — 理化学研究所

富岡製糸場の設立にも、大蔵省時代に関わっています。

『論語と算盤』と道徳経済合一説

大正5年(1916年)、渋沢栄一は『論語と算盤』を著しました。

幼少期に学んだ『論語』を拠り所に、倫理と利益の両立を掲げた考え方です。
これを「道徳経済合一説」といいます。

利益を独占するのではなく、国全体を豊かにするために富は社会へ還元するもの、という主張でした。
道徳から離れた権謀術数的な商才は、真の商才ではないとも述べています。

徳川慶喜との関係

渋沢栄一が幕臣になれたのは、主君の一橋慶喜が将軍になったからです。
つまり慶喜がいなければ、渋沢の経歴そのものが成立しませんでした。

明治後、渋沢は静岡で隠棲していた慶喜のもとを訪ね、その名誉回復にも関わっています。

大河ドラマのなかの渋沢栄一

2021年の『青天を衝け』で主人公になりました。主演は吉沢亮さん、脚本は大森美香、全41回です。

この作品では、小栗忠順も幕臣の一人として登場しています。
つまり2021年に脇役として描かれた人物が、2027年に主人公になるという関係です。

→ 幕末が舞台の大河ドラマ一覧|時代順に見どころを紹介

ゆかりの地

  • 渋沢栄一記念館(埼玉県深谷市) — 生地にある記念館
  • 青淵文庫(東京都北区・旧渋沢庭園) — 傘寿と子爵昇爵を記念して贈られた建物

「青淵(せいえん)」は渋沢栄一の号です。

よくある質問

渋沢栄一は何をした人ですか

約500社の設立・経営に関わった実業家です。
第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商工会議所、東京証券取引所などを作り、「日本資本主義の父」と呼ばれます。

渋沢栄一はもともと武士でしたか

いいえ。武蔵国血洗島村の豪農の生まれです。
一橋家に仕えたのち、主君の徳川慶喜が将軍になったことで幕臣になりました。

小栗忠順とはどういう関係ですか

同じ幕臣です。渡欧前に小栗へ相談した記録が残っています。
小栗はアメリカ、渋沢はヨーロッパを見て、どちらも同じような近代化を構想しましたが、小栗は慶応4年に斬られ、渋沢は明治を生きました。

一万円札になったのはいつからですか

2024年発行の新紙幣からです。

『論語と算盤』とは何ですか

大正5年(1916年)刊行の著作で、倫理と利益の両立を説いた「道徳経済合一説」を述べたものです。


もっと深く知りたい場合は、幕末の人物をまとめた事典と、書籍のページがあります。

→ 幕末の人物事典|小栗忠順と同じ時代を生きた人々

→ 小栗忠順を知るための本|小説・新書・漫画のおすすめ

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