小栗忠順(おぐり ただまさ/小栗上野介)の言葉は、本人が書き残したものではなく、
同時代の人が「こう語った」と書き残したものとして伝わっています。
だから、名言を紹介するときは「誰が、どの記録で伝えたのか」まで書かないと、
どこまで本人の言葉なのかが分かりません。
この記事では、小栗上野介の名言を出典とセットで並べ、
最期の言葉と、辞世の句が伝わっているのかどうかまで整理します。
「幕府の運命に限りあるとも、日本の運命には限りがない」
小栗忠順の名言として最もよく引かれるのが、この一言です。
横須賀に造船所を造ろうとしたとき、ある幕臣がこう言いました。
幕府の運命もなかなかむつかしい。費用をかけて造船所を造ってもその成功する時分には幕府はどうなるか分からない
これに対して小栗が容を改めて答えたのが、この言葉でした。
幕府の運命に限りあるとも、日本の運命には限りがない
続きがあります。
我は幕府の臣であるから幕府の為に盡くす身分ではあるけれども、結局日本のためであって幕府のしたことが長く日本の為となって徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば徳川家の名誉ではないか。国の利益ではないか。同じ売り据にしても土蔵付売据の方がよい。跡は野となれ山となれと云って退散するのは宜しくない。
出典と、表記の揺れ
このやりとりを伝えたのは島田三郎で、「懐舊談」(『同方会報告』明治28年6月・第1号・17ページ/1977年に立体社より復刻)に載っています。
東善寺は、相手の幕臣について、小栗上野介研究家の大坪指方が
鈴木兵庫頭(重嶺・佐渡奉行・歌人)としていると紹介しています(『小栗上野介』小栗上野介を偲ぶ会発行・昭和50年)。
なお、この言葉は資料によって表記が揺れます。
- 東善寺(島田三郎の原文):「幕府の運命に限りあるとも、日本の運命には限りがない」
- ほかの資料:「幕府の命運に限りがあるとも、日本の命運に限りはない」
意味は変わりませんが、引用するときはどちらの表記を使ったのかを明示したほうが無難です。
「土蔵付売家」「土蔵付売り据え」
上の言葉に出てくる「売り据え」は、建具や家具を付けたまま建物をそっくり売ることです。
いまでいう「居抜き」にあたります。
小栗は同じ趣旨を、別の言い方でも残しています。
いずれこの造船所が出来上がれば、土蔵つき売家の栄誉が残せる
母屋(政権)が売りに出ても、この土蔵(造船所)は新しい家主の役に立つ——という意味です。
この言葉には「創作説」がある
こちらを伝えたのは、小栗の片腕だった栗本鋤雲で、『匏庵遺稿』に記されています。
ただし東善寺自身が、学者や作家のなかに
「早くに殺された小栗を悼んで栗本鋤雲が創作した言葉だろう」
「幕府崩壊の4年前にそれを予見する先見性はないだろう」とする見方があることを紹介しています。
そのうえで東善寺は、島田三郎が伝えた「土蔵付売り据え」と重なることから、
後世の創作とは言いがたいという立場を取っています。
顕彰する側の評価と、疑う側の指摘が両方ある言葉だと知ったうえで使うのが安全です。
※イラストと会話は、このサイトの案内役として人物の姿を借りたものです。実際の発言ではありません。
小栗忠順
土蔵付売家の一言を書き留めたのは、おぬしだったな。
栗本鋤雲
匏庵遺稿に記した。もっとも、早くに殺された者を悼んで私が作ったのだろうと疑う声もある。島田三郎が別に伝えた売り据えの話と重なるので作り話とは言いがたい、という見方もあってな。どちらの説もあると承知したうえで引いてもらいたい。
「真の武士」
小栗上野介の名言として、東善寺が「言葉1」に置いているのがこれです。
親の病気が、もう治る見込みがないからといって、薬を与えないのは親孝行ではない。たとえ国が滅びても、この身が倒れるまで公事に尽くすのが、真の武士である
原文はこうです。
病の癒ゆべからざるを知りて薬せざるは孝子の所為にあらず。国亡び、身倒るるまでは公事に鞅掌するこそ、真の武士なれ
出典は福地源一郎(桜痴)『幕末政治家』(東洋文庫・平凡社)。
福地は同書で、当時の幕府はすでに衰亡に瀕しており
「百人の小栗上野介がいてもどうにもならない時節だった」としたうえで、
それでも小栗は「不可能」という言葉を吐いたことがなかった、と書いています。
ここでいう「親」は、自分が仕えている徳川幕府を指します。
「一言で国を滅ぼす言葉は『どうにかなろう』の一言なり」
同じ福地源一郎が、別の著書『幕府衰亡論』第十八章に書き留めた言葉です。
一言以て国を亡ぼすべきものありや、どうにかなろうと云う一言、これなり。幕府が滅亡したるはこの一言なり。
福地は、これを自分が直接その人から聞いた格言だと書いています。
同じ章では、岩瀬忠震の「幕府の評議には『可成丈』の字を厳禁すべし」という言葉も並べています。
先送りと様子見を名指しで否定した言葉で、
小栗上野介の名言のなかでは、いちばん現代の組織に刺さる一言かもしれません。
「腰抜け武士に高禄は無用」
小栗は財政再建と行政整理を担った勘定奉行でもありました。
その立場からの言葉が、これです。
上州(小栗)数々人に語って曰く「今日国家多事財政困難の時に当り、腰抜け武士に高禄を給するは無用なり、宜しく此等のものを削らざる可からず」と、又曰く「仮令旧例古格なりと雖も、無用の役員無用の役局は廃せざるべからず」と
出典は勢多桃陽『小栗上野介』(東京博文館・少年読本第四十編・明治34年9月)です。
由緒があろうと格式が高かろうと、いま要らない役職と部署は廃止する——
幕末の行政改革を担った人物の言葉として読めます。
「国民利福」
長野県小布施町の豪農商・高井鴻山が松代藩へ提出した「船会社設立案」の建議書は、
「勘定奉行小栗上野介から助言を得て」書かれたものとして町に残っています。
その建議書にある考え方が「国民利福」です。
信越の富豪が結社して船会社を作り外国交易を行なえば、地域の物産振興、富国強兵につながり国民利福を図ることとなる
出資した富豪の利益ではなく、ジャガイモや養蚕といった地域の物産を作る多くの人のためになる。
そして「この会社は武士は加えないで民間で行ないたい」——という建議でした。
東善寺は、小栗が立ち上げた兵庫商社も同じ理念だったから高井鴻山が共鳴したのだろう、と説明しています。
これは東善寺の解釈であって、建議書にそう書いてあるわけではありません。
渋沢栄一に語った言葉
慶応3年、パリ万博へ向かう徳川昭武に随行する直前の渋沢栄一が、
横浜で勘定奉行の小栗に挨拶をしました。
5年の留学中の会計が心配だと述べた渋沢に、小栗はこう返しています。
苟も不肖小栗が職に在る間は決して心配はかけぬから安心して行くがよい。然し呉々も幕府が何時如何になるかは全然分らぬから(中略)幕府の運命に付ての覚悟だけは聢りきめて置くことが必要であらう
この談話は、渋沢の秘書だった白石喜太郎が昭和5年3月7日に飛鳥山邸で聞き取った
「白石喜太郎憶記」として残っています。
小栗が斬首されるのは、この会話から1年たたないうちのことでした。
小栗忠順の最期の言葉
慶応4年(1868年)閏4月6日、小栗は烏川の水沼河原で斬首されます。享年42。
東京新聞が2007年に報じた古文書の内容にもとづいて、
処刑直前のやりとりが次のように伝えられています。
家臣が改めて無罪を大声で主張すると、小栗は「お静かに」と言い放ち、こう諭しました。
もうこうなった以上は、未練を残すのはやめよう
軍監の原保太郎が「何か言い残すことはないか」と聞くと、小栗はにっこり笑って答えます。
私自身には何もないが、母と妻と息子の許婚を逃がした。どうかこれら婦女子にはぜひ寛典を願いたい
最期の言葉は、自分のことではなく、逃がした家族の助命願いでした。
処刑の順序は荒川祐蔵・大井磯十郎・渡辺太三郎・小栗の順だったと伝えられています。
辞世の句は伝わっているのか
小栗上野介の辞世の句として確認できるものは、見当たりません。
取り調べもされないまま捕縛の2日後に斬首されているため、
辞世を詠んで書き残すような時間そのものが与えられていません。
「辞世の句」として紹介されるものを見かけたら、
誰がどの記録で伝えたのかを確かめてから使ってください。
記録に残っているのは、上に挙げた処刑直前のやりとりのほうです。
栗本鋤雲
辞世の句として出回っているものを見かけるが。
小栗忠順
捕らえられて二日で斬られた。筆を執って歌を残す暇はない。誰がどの記録で伝えたのかが示されておらぬものは、そのまま使わぬほうがよかろう。
よくある質問
小栗上野介の名言でいちばん有名なものは何ですか
「幕府の運命に限りあるとも、日本の運命には限りがない」です。島田三郎が「懐舊談」(『同方会報告』明治28年6月・第1号)で伝えました。
「土蔵付売家」とはどういう意味ですか
母屋(政権)が売りに出ても、土蔵(横須賀造船所)は新しい家主の役に立つ、という意味です。「売り据え」は建具や家具を付けたまま建物をそっくり売ることで、いまでいう居抜きにあたります。
小栗忠順の名言は本人が書き残したものですか
いいえ。いずれも同時代の人物が「小栗はこう語った」と書き残した記録です。栗本鋤雲が伝えた「土蔵付売家」には、後世の創作ではないかとする見方もあります。
小栗上野介に辞世の句はありますか
確認できるものは見当たりません。捕縛の2日後に取り調べもないまま斬首されており、記録に残っているのは処刑直前のやりとりのほうです。
最期に何と言い残したのですか
「私自身には何もないが、母と妻と息子の許婚を逃がした。どうかこれら婦女子にはぜひ寛典を願いたい」と、逃がした家族の助命を願ったと伝えられています。
小栗忠順という人物の全体像は、こちらから。
言葉の原典は東善寺「小栗上野介の言葉」の各ページによります(2026年8月25日確認)。