ジョン万次郎(本名・中浜万次郎/なかはま まんじろう)は、
14歳で漂流し、アメリカで暮らし、帰国して幕府の直参にまでなった人物です。
土佐の貧しい漁師の家に生まれ、寺子屋に通う余裕もなく読み書きもほとんどできなかった少年が、
日本で唯一まともに英語を話せる人間になって戻ってくる——という経歴の持ち主です。
小栗忠順と同じ1860年(万延元年)の遣米使節に加わっており、
2028年のNHK大河ドラマ『ジョン万』では主人公として描かれます。
この記事では、漂流から通訳になるまでを順にたどります。
ジョン万次郎の年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1827年(文政10年) | 土佐国幡多郡中ノ浜村(現・高知県土佐清水市中浜)に生まれる |
| 1841年(天保12年) | 14歳。足摺岬沖で遭難し、鳥島に漂着。143日を生き延び、米捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助される |
| 1843年 | マサチューセッツ州ニューベッドフォードに到着。船長の故郷フェアヘーブンで暮らす |
| 1844年(弘化元年) | バートレット・アカデミーで英語・数学・測量・航海術・造船を学び、首席になる |
| 1846年 | 捕鯨船フランクリン号にスチュワードとして乗り込む |
| 1849年 | ゴールドラッシュのサンフランシスコへ渡り、金鉱で働いて帰国資金を得る |
| 1851年(嘉永4年) | 琉球へ上陸。薩摩藩、長崎奉行所、土佐藩で長期間の取り調べを受ける |
| 1852年(嘉永5年) | 漂流から11年目に帰郷し、母と再会。土佐藩の士分に取り立てられ教授館の教授に |
| 1853年(嘉永6年) | 幕府に召し出され、直参旗本に。故郷の地名から「中濱」の苗字を授かる |
| 1856年 | 軍艦教授所教授。英会話書『英米対話捷径』を執筆 |
| 1860年(万延元年) | 咸臨丸に乗って渡米。使節の通訳として働く |
| 1869年(明治2年) | 開成学校(現・東京大学)の英語教授に任命される |
| 1898年(明治31年) | 71歳で死去。雑司ヶ谷霊園に葬られる |
14歳の漂流と、143日の無人島
1841年1月、14歳の万次郎は宇佐浦から漁船に炊係(炊事と雑事の係)として乗り込みました。
船頭の筆之丞(38歳)ら5人で足摺岬沖へ出たところ、突然の強風で流され、船は航行不能に。
5日半(資料によっては10日間とも)漂流したのち、伊豆諸島の無人島鳥島に漂着します。
わずかな溜水と海藻、海鳥を口にしながら、143日間を生き延びました。
同年6月、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号が海亀を確保しようと島に立ち寄り、
5人は救助されます。
なぜ万次郎だけアメリカへ渡ったのか
ホノルルに寄港したとき、5人のうち万次郎を除く4人は当地で下船しました。
万次郎ひとりが捕鯨船員として船に残り、アメリカ本土を目指します。
船長ホイットフィールドに頭の良さを気に入られたこともありますが、何より本人が希望した処遇でした。
航海中、万次郎は生まれて初めて世界地図を目にし、世界における日本の小ささに驚いています。
アメリカ人の乗組員からは、船名にちなんで「ジョン・マン(John Mung)」の愛称で呼ばれました。
これが「ジョン万次郎」という呼び名の由来です。
アメリカでの学校生活
ニューベッドフォードの隣町フェアヘーブンで、万次郎は船長の養子のように暮らしました。
オックスフォード・スクールで小学生に混じって英語を学び、
その後バートレット・アカデミーで英語・数学・測量・航海術・造船技術を学びます。
寝る間を惜しんで勉強し、首席になりました。
民主主義や男女平等という日本人にとって新鮮な概念に触れる一方で、人種差別も経験しています。
帰国と、11年ぶりの再会
帰国資金を得るためゴールドラッシュのサンフランシスコで金を採掘し、
1850年、ホノルルで再会した漂流仲間の伝蔵・五右衛門とともに上海行きの商船に乗り込みます。
購入した小舟「アドベンチャー号」も積んで、日本へ向かいました。
1851年、薩摩藩に服属していた琉球へ上陸。
そこから薩摩本土へ送られ、長崎奉行所、土佐藩と、長期間の取り調べが続きます。
帰郷が許されたのは、日本の土を踏んでから約1年半後のこと。
漂流から11年目でした。
薩摩藩での厚遇
取り調べを受けた薩摩藩では、万次郎は厚遇されました。
開明的な藩主島津斉彬は自ら海外の情勢や文化について質問し、
斉彬の命で万次郎は藩士や船大工に洋式の造船術・航海術を教えます。
薩摩藩はその情報をもとに和洋折衷船の越通船を建造しました。
斉彬はのちに、万次郎を薩摩藩の洋学校(開成所)の英語講師として招いています。
ジョン万次郎と西郷隆盛の関係
「ジョン万次郎 西郷隆盛」で検索する人は多いのですが、
両者が直接交流したことを示す記録は、万次郎の経歴をまとめた資料には出てきません。
つながっているのは薩摩藩のほうです。
- 1851年、帰国直後に薩摩藩で取り調べを受け、島津斉彬に厚遇された
- 1864年から鹿児島に赴任し、薩摩藩の開成所教授になった
- 1865年、長崎で薩摩藩が船舶5隻を購入する交渉を行った
- 1867年、薩摩藩の招きで鹿児島に赴き、航海術と英語を教えた
西郷隆盛が薩摩藩を動かしていた時期と重なりますが、
2人が会ったという記録そのものを確認できたわけではありません。
なお、万次郎は2018年の大河ドラマ『西郷どん』に登場し、劇団ひとりが演じています。
ドラマで隣り合っている=史料に交流の記録がある、ではない点に注意してください。
咸臨丸とジョン万次郎
1860年、日米修好通商条約の批准書を交換する遣米使節団に、万次郎も加わります。
万次郎が乗ったのは、随伴艦の咸臨丸でした。
このとき、船長の勝海舟は船酔いがひどくてまともに指揮を執れませんでした。
代わって万次郎が、アメリカ人のジョン・ブルックとともに船内の秩序保持に努めています。
サンフランシスコ到着後は、使節の通訳として働きました。
帰国時には、同行した福澤諭吉とともにウェブスターの英語辞書を買って持ち帰っています。
※イラストと会話は、このサイトの案内役として人物の姿を借りたものです。実際の発言ではありません。
勝海舟
おれは船に酔って寝込んでいた。あの航海で船のなかをまとめたのは、おまえさんとブルックだよ。
ジョン万次郎
私が乗ったのは随伴の咸臨丸で、小栗さまは本隊のポーハタン号でした。同じ使節でも、行きの船は二手に分かれていたのです。
小栗忠順とは別の船だった
同じ遣米使節でも、小栗忠順が乗ったのは本隊のポーハタン号です。
咸臨丸に乗った万次郎とは、往路の船が違いました。
咸臨丸はサンフランシスコで修理を終えるとホノルル経由で先に帰国し、
ワシントンへ向かう正使一行とは別行動をとっています。
ペリーの通訳にはならなかった
「日本で唯一英語が話せる人物」でありながら、
万次郎はペリーとの交渉の通訳から外されています。
理由は複数ありました。
- 老中阿部正弘が、万次郎がアメリカへ帰ってしまうことを懸念した
- 海防参与だった水戸藩主徳川斉昭がスパイ疑惑を持ち出した
- オランダ語を介した通訳の立場を失うことを恐れた蘭語通詞たちが反対した
なお、お雇い外国人ウィリアム・グリフィスは『ペリー伝』で
万次郎が日米和親条約の締結に陰ながら尽力したと書いていますが、
確証がなく、グリフィスの空想とされています。
有名な「掘ツタ芋イヂルナ」の出典
ジョン万次郎といえば、英語を耳で覚えた発音で知られています。
「こーる」=cool、「わた」=water、「さんれぃ」=Sunday、「にゅうよぅ」=New York。
現在の発音辞書とは大きく異なりますが、実際に英米人へこの通りに話すと十分意味が通じるという実験結果もあります。
ただし、いちばん有名な「掘ツタ芋イヂルナ」(What time is it now?)は、
万次郎の『英米対話捷径』には載っておらず、原典が発見されていません。
勝海舟
掘った芋いじるな、で What time is it now と聞こえる——その話は、ずいぶん広まっているな。
ジョン万次郎
私の書いた英米対話捷径に、その一句は入っていません。どこから出た話なのか、いまだに原典が見つかっていないのです。逸話として語られている、というところで止めておいてください。
紹介するときは「万次郎の逸話として語られている」という形にとどめるのが安全です。
2028年の大河ドラマ『ジョン万』
ジョン万次郎は、2028年のNHK大河ドラマ『ジョン万』の主人公です。
主演は山﨑賢人、脚本は藤本有紀で、原作のないオリジナル作品として制作されます。
ジョン万次郎資料館(高知県土佐清水市)の公式サイトも、
2026年4月9日付のお知らせで「2028年ジョン万次郎 大河ドラマ化決定!」と告知しています。
2027年の『逆賊の幕臣』(小栗忠順)の翌年が『ジョン万』という並びです。
どちらも幕末から明治にかけての時代を扱い、どちらも1860年の遣米使節に関わった人物が主人公になります。
『逆賊の幕臣』にジョン万次郎は出るのか
2026年10月11日時点で発表されている『逆賊の幕臣』の配役32人に、
ジョン万次郎(中浜万次郎)は含まれていません。
登場するかどうかも、誰が演じるかも、まだ発表されていません。
よくある質問
ジョン万次郎とはどんな人ですか
土佐の漁師の家に生まれ、14歳で漂流してアメリカへ渡り、帰国後に幕府の直参旗本となった人物です。本名は中浜万次郎。英語・航海術・測量術を教え、明治には開成学校(現・東京大学)の英語教授を務めました。
なぜ「ジョン万次郎」と呼ばれるのですか
救助された捕鯨船ジョン・ハウランド号にちなんで、アメリカ人の乗組員から「ジョン・マン(John Mung)」の愛称で呼ばれたことに由来します。
ジョン万次郎と西郷隆盛は会ったことがありますか
2人が直接交流したことを示す記録は確認できませんでした。薩摩藩とのつながりは深く、島津斉彬に厚遇され、開成所の教授も務めています。2018年の大河ドラマ『西郷どん』では劇団ひとりが万次郎を演じました。
咸臨丸ではどんな役割でしたか
船長の勝海舟が船酔いで指揮を執れなかったため、アメリカ人のジョン・ブルックとともに船内の秩序保持にあたりました。サンフランシスコ到着後は使節の通訳として働いています。
小栗忠順と同じ船に乗っていたのですか
いいえ。小栗忠順は本隊のポーハタン号、万次郎は随伴艦の咸臨丸でした。同じ遣米使節ですが往路の船が異なり、咸臨丸はワシントンへ向かう正使一行と別れて先に帰国しています。
ジョン万次郎はいつ大河ドラマになりますか
2028年放送予定の『ジョン万』が該当します。主演は山﨑賢人、脚本は藤本有紀のオリジナル作品です。
同じ時代を生きた人たちは、こちらにまとめています。
大河ドラマ化の告知はジョン万次郎資料館公式サイトによります。