富岡製糸場は、明治政府が作った官営模範工場です。
小栗忠順が建てたわけではありません。
操業が始まったのは1872年(明治5年)で、小栗はその4年前に斬首されています。
それでも、この工場が小栗の話に必ず出てくるのには理由があります。
設計図を描いた人も、建てた大工も、工場の回し方も、横須賀から来ているからです。
小栗が建設を始めた横須賀製鉄所(横須賀造船所)と、富岡製糸場。
この2つがどうつながっているのかを、記録で確認できる範囲だけ並べます。
富岡製糸場とは
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県富岡市富岡1番地1 |
| 着工 | 1871年(明治4年)3月 |
| 竣工 | 1872年(明治5年)7月(主要部分) |
| 開業 | 1872年11月4日(明治5年10月4日) |
| 設計(主要部分) | エドモン・オーギュスト・バスチャン |
| 指導者 | ポール・ブリューナ(フランス人) |
| 操業停止 | 1987年(昭和62年) |
| 国の史跡 | 2005年(平成17年)7月14日 |
| 世界遺産 | 2014年6月21日(第38回世界遺産委員会・ドーハ) |
| 国宝 | 2014年(平成26年)12月10日 |
日本初の本格的な機械製糸工場で、当時としては世界最大級の規模でした。
背景は輸出です。
江戸時代末期に開国したとき、生糸は日本の主要な輸出品になりましたが、粗製濫造で国際的な評価を落としていました。
そこで官営の器械製糸工場を建て、手本を作ることになったのが富岡製糸場です。
第二次世界大戦の空襲を受けず、操業停止後も片倉工業が保存に力を入れたため、開業当初の木骨レンガ造の建物群がそのまま残っています。
「富岡製糸場は横須賀造船所の妹」
小栗忠順の菩提寺である東善寺(群馬県高崎市倉渕町権田)は、富岡製糸場を「横須賀造船所の妹」と呼んでいます。
理由は3つ挙げられており、いずれも裏づけを追える内容です。
① 設計図は横須賀で描かれた
ブリューナは富岡製糸場の設計にあたり、横須賀製鉄所のお雇い外国人だったエドモン・オーギュスト・バスチャンに依頼して設計図を作らせました。
依頼を受けたのは明治3年11月初旬。
図面が仕上がったのが同年12月26日(1871年2月15日)ですから、おおよそ50日という短さです。
これができたのは、1865年(慶応元年)から建てていた横須賀の設計図が手元にあったからでした。
ゼロから描いたのではなく、すでにある図面を持ち替えたわけです。
② 大工も横須賀から来た
1871年(明治4年)、バスチャンは横須賀から日本人の大工十数名を連れて富岡へ移り、現地の大工を指導しました。
なぜ横須賀の大工だったのか。
図面がフランス語で、寸法がメートル法だったからです。
その読み方に慣れているのは、当時の日本では横須賀で働いていた大工しかいませんでした。
※イラストと会話は、このサイトの案内役として人物の姿を借りたものです。実際の発言ではありません。
渋沢栄一
なぜ近隣の大工ではなく、わざわざ横須賀から呼び寄せたのでございましょう。
ヴェルニー
図面がフランス語で、寸法がメートルだったからです。それを読める大工は、当時の日本では横須賀にしかおりませんでした。設計を頼まれたバスチャンが五十日ほどで図面を仕上げられたのも、横須賀の図面が手元にあったからです。
構造そのものも引き継がれています。
横須賀造船所の錬鉄所で使われた「ヤグラ(建屋根)」——通風換気のために屋根の上へさらに屋根を載せる構造——が、富岡製糸場の繰糸場にも応用されました。
③ 工場の回し方が同じだった
富岡でブリューナの指導のもとに始まった経営は、横須賀と同じ型でした。
- 定時労働
- 日曜休日
- 職階と責任の明確化
- 年功給・技能給
- メートル法
いまの勤め人が当たり前だと思っている働き方の枠組みです。
これを日本で最初に持ち込んだのが横須賀製鉄所で、そこには職務分掌・雇用規則・残業手当・社内教育・洋式簿記・月給制が導入されていました。
その人事を決めたのが、首長にフランス人技師レオンス・ヴェルニーを任命した小栗忠順です。
予算と工期を並べてみる
東善寺は、2つの施設をこう並べています。
| 着工 | 工期 | 予算 | 現在の位置づけ | |
|---|---|---|---|---|
| 富岡製糸場 | 1871年(明治4年) | 1年 | 24万ドル | 世界遺産 |
| 横須賀造船所 | 1865年(慶応元年) | 4年 | 240万ドル | 日本遺産 |
横須賀は、富岡の10倍の予算と4倍の工期をかけた事業でした。
先に作られ、規模も大きく、しかも富岡へ設計・人材・経営手法を供給した側です。
にもかかわらず、教科書で「日本の近代化」として挙げられるのは明治5年の富岡製糸場から——という点を、東善寺は繰り返し指摘しています。
幕府がやった近代化は表に出しにくかったという見方です。
この評価そのものは顕彰する立場からの主張なので、そのまま事実として受け取る必要はありません。
ただ、設計・建設・経営の3点が横須賀由来であることは、それぞれ別の記録で確認できます。
ヴェルニー
横須賀は富岡の十倍の予算と四倍の工期をかけた、と並べた表がありますね。
渋沢栄一
その並べ方は、小栗さまを顕彰する立場からの見立てでございます。そのまま事実として受け取るものではありません。ただ、設計と大工と工場の回し方が横須賀から渡ったことは、それぞれ別の記録で確かめられます。そこだけは動きません。
では誰が富岡製糸場を作ったのか
作ったのは明治政府です。名前を挙げると、次の人たちになります。
| 人物 | 役割 |
|---|---|
| 大隈重信・伊藤博文・渋沢栄一 | 官営の器械製糸場の建設を進めた |
| ポール・ブリューナ | 雇われた指導者。「見込み書」を提出し1870年に仮契約 |
| 尾高惇忠 | ブリューナとともに建設地を選定。初代場長 |
| エドモン・オーギュスト・バスチャン | 設計図を描いた(横須賀から) |
建設地の決定は速く、明治3年閏10月7日(1870年11月29日)に長野・群馬・埼玉を視察し、同月17日には富岡に決めています。
ここで一人、名前が重なります。渋沢栄一です。
渋沢は幕臣として小栗忠順と同じ場にいた人物で、明治政府では富岡製糸場の設立を進める側に回りました。
尾高惇忠は、その渋沢の従兄にあたります。
小栗が横須賀で始めた型が富岡へ渡ったことと、渋沢という人物が幕府から明治政府へ渡ったことは、ちょうど重なって見えます。
「工女は生き血を飲まれる」という噂があった
明治5年2月12日(1872年3月20日)、政府は工女の募集を布達しました。
ところが人が集まりません。
「工女になると西洋人に生き血を飲まれる」という噂が広まっていたためです。
正体は、フランス人が飲んでいた赤ワインでした。
政府はこの噂を打ち消す布告を繰り返し出し、あわせて富岡製糸場の意義や、技術を身につけた工女の重要性を説いています。
ここで働いた工女たちは、その後各地の製糸工場へ技術を伝えました。
日本の気候に合わせて調整された器械も、後続の工場に取り入れられています。
「模範工場」というのは、建物ではなく人と型を広げる仕組みのことでした。
官営から民間へ、そして世界遺産へ
| 年 | 経営 |
|---|---|
| 1872年(明治5年) | 官営として開業 |
| 1893年(明治26年) | 三井家に払い下げ |
| 1902年(明治35年) | 原合名会社 |
| 1939年(昭和14年) | 片倉製糸紡績会社(現・片倉工業) |
| 1987年(昭和62年) | 操業停止 |
| 2014年 | 世界遺産に登録、国宝に指定 |
開業から操業停止まで115年。
第二次世界大戦中も含め、一貫して製糸工場として機能し続けたという点が、この建物の価値を支えています。
見学情報
現在は富岡市が管理し、見学施設として公開されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開場時間 | 9時00分〜17時00分(最終入場 16時30分) |
| 休場日 | 年末(12月29日〜31日) |
| 見学料(大人) | 1,000円 |
| 見学料(高校生・大学生) | 250円 ※要学生証 |
| 見学料(小学生・中学生) | 150円 |
| 無料になる方 | 未就学児/障害者手帳をお持ちの方と介護者1名/富岡市民 |
点検・整備などで臨時休場になる場合があります。
PayPay・楽天ペイ・クレジットカード・ICカード決済が使えます。
見学コースは外観が中心なので、雨具を持っていくと安心です。
なお、小栗忠順ゆかりの東善寺は同じ群馬県内、高崎市倉渕町にあります。
高崎を起点にすれば、富岡製糸場と合わせて回れる距離です。
よくある質問
富岡製糸場は小栗忠順が作ったのですか
いいえ。作ったのは明治政府です。
小栗は1868年(慶応4年)閏4月に斬首されており、富岡製糸場の開業はその4年後にあたります。
ただし設計図を描いたのは小栗が建てた横須賀製鉄所の技師で、大工も横須賀から来ています。
富岡製糸場はいつできたのですか
1871年(明治4年)3月に着工し、1872年11月4日(明治5年10月4日)に開業しました。
富岡製糸場が世界遺産になったのはいつですか
2014年6月21日、ドーハで開かれた第38回世界遺産委員会で「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として正式登録されました。
同じ年の12月10日には、初期の建造物群が国宝に指定されています。
富岡製糸場の見学料はいくらですか
大人1,000円、高校生・大学生250円、小学生・中学生150円です。
未就学児と、障害者手帳をお持ちの方および介護者1名、富岡市民は無料です。
富岡製糸場はいつまで動いていたのですか
1987年(昭和62年)まで操業していました。
開業から115年間、第二次世界大戦中も含めて製糸工場として使われ続けています。
横須賀製鉄所と富岡製糸場はどちらが先ですか
横須賀です。
横須賀製鉄所の着工は1865年(慶応元年)、富岡製糸場の着工は1871年(明治4年)で、6年の差があります。
小栗の仕事が明治にどうつながったのかは、幕末のページから通しで追えます。
本で読みたい場合は、書籍のページを用意しました。
開場時間と見学料金は富岡製糸場公式サイトのご利用案内、「横須賀造船所の妹」とする3つの理由は東善寺(小栗上野介顕彰会)をもとにまとめました(2026年8月24日確認)。