徳川埋蔵金を全国区にしたのは、TBSのテレビ番組でした。
1990年6月、コピーライターの糸井重里さんを中心にプロジェクトチームが結成され、群馬・赤城山で大型重機を使った発掘が始まります。
結論から書くと、埋蔵金は出ていません。
ただ「何も無かった」わけでもなく、地中からは穴や石垣が次々に現れました。
この記事では、始まりから終わりまでを順にたどります。
始まりは『ギミア・ぶれいく』だった
舞台になったのは、TBS系で1989年10月10日から1992年9月29日まで、毎週火曜21時から放送されていた2時間番組『ギミア・ぶれいく』です。
大橋巨泉さん、関口宏さん、石坂浩二さん、ビートたけしさんらが「プレゼンター」として企画を持ち寄る形式で、キャッチフレーズは「社運バラエティー」でした。
番組名は「いい加減にしろ」を意味する英語 gimme a break から来ています。
そのシリーズ企画のひとつが、「糸井重里・徳川埋蔵金発掘プロジェクト」でした。
掘ったのは「源次郎の井戸」
発掘現場は、赤城山麓で3代100年以上にわたって埋蔵金を探し続けていた水野家の敷地内にある、源次郎の井戸跡です。
チームは自称超能力者の助けを借りるなどして埋蔵箇所をここと推定し、大型重機を投入した大掛かりな掘削を行いました。
番組スタッフが後に書いた企画書によれば、掘った穴は直径100メートル、深さ60メートルに達しています。
結末|出たもの、出なかったもの
出たものは、次のようなものでした。
- 江戸時代以降に掘られたとみられる穴(多数)
- 地下を縦横無尽に走る、迷路のような坑道
- 何かを隠すために積まれたとしか考えられない石垣
- そのほか多数の遺物
出なかったものは、ひとつだけです。
埋蔵金そのもの、およびそれに直接つながる発見。
プロジェクトチームは「この穴は、御用金を隠すために掘られたダミーのひとつではなかったのか」という結論を出して発掘終結宣言を行い、赤城山から撤退しました。
チームも解散しています。
企画書はこの撤退を、「屈辱の敗北宣言」と書いています。
期間は資料によって食い違う
なお、発掘に費やした期間は資料によって数字が違います。
- 徳川埋蔵金の経緯をまとめた資料 — 約2年半にわたって計10回の発掘作業
- 1999年の番組企画書 — 源次郎の井戸跡から始まった発掘は足かけ6年に及んだ
前者は「発掘作業の回数と、それが行われた期間」、後者は「プロジェクトが赤城山に関わっていた期間」を指している可能性がありますが、どちらが正しいかを決められる資料は見つかりませんでした。
ここでは両方を併記しておきます。
1999年大晦日|年またぎの「炎のリベンジ」
撤退後もメンバーは調査を続け、1999年夏に再始動します。
きっかけは、赤城山麓の長井小川田という地域の埋蔵金伝説でした。
水戸徳川に伝わる埋蔵金関係の古文書に「小川田原」という地名が記されていることが判明し、しかもこの土地は利根川の支流の川べりにあります。
船で御用金を運んだと仮定すれば、地理的に都合がよい——という理屈です。
そして1999年12月31日から2000年1月1日にかけて、TBSの年またぎ特別番組『超える!テレビ』で発掘の模様が生中継されました。
紅白歌合戦の裏で、赤城山中から中継するという企画です。
糸井さんが主宰するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」も現地から独占中継を行い、TBSの中継が23時15分に終わったあとも23時53分まで配信を続けています。
このときの発掘ポイントは3か所でした。
- 水野家の文献や古寺の床下から出た銅板を再検証して浮かんだ地点(ゴルフ場開発で、そこだけ手つかずで残った場所)
- 長井小川田のうち、地元の古老が「叩くとポコンポコンと音がする」という民家の庭先
- 同じく長井小川田で、航空機によるレーダー探査や3D地底探査機を使って導き出した地点
ここでも埋蔵金は出ていません。
番組が本当にやりたかったのは「経済番組」だった
企画書に書かれた副題は、「紅白の裏で考えるドロだらけの経済番組」でした。
幕末の幕府が、お台場建設や開国後の混乱で財政を悪化させていったこと。
薩長に対抗するためフランスから借款を申し込み、その見返りとしてフランスが生糸の独占を狙っていたこと。
その生糸の一大産地が前橋、つまり赤城山のふもとだったこと。
こうした経済の流れから埋蔵金伝説を捉え直す、というのが番組のもうひとつの柱でした。
ただし、当の糸井さんはこの企画書に困惑しています。
「ほぼ日刊イトイ新聞」に載った本人のコメントによれば、「ちょっと、〈ありそう感〉をあおりすぎかもなぁ」というのが第一声で、自分としては「無い」理由を推理して納得していたのに刺激されてつらい、という趣旨のことを述べています。
掘る側が「たぶん無い」と思いながら掘っていた——ここがこの企画のいちばん正直な部分かもしれません。
※イラストと会話は、このサイトの案内役として人物の姿を借りたものです。実際の発言ではありません。
小栗道子
掘っておられたご本人が、たぶん無いと思っていらしたのですか。
小栗忠順
糸井という人は、あの企画書はあるように見せすぎではないかと困っていたそうだ。自分では無い理由を推し量って得心していたのに、と。掘る側がそう思いながら掘っていた。この話のいちばん正直なところだな。
その後もTBSは掘り続けた
年またぎ中継のあとも、TBSは同じ題材を繰り返し取り上げています。
| 放送 | 番組 |
|---|---|
| 1990年6月〜 | 『ギミア・ぶれいく』(糸井重里・徳川埋蔵金発掘プロジェクト) |
| 1999年12月31日〜2000年1月1日 | 『超える!テレビ』 |
| 2008年 | 『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』 |
| 2016年12月21日 | 『林修の歴史ミステリー 徳川家260年最大の謎 隠された財宝3000億円徹底解明スペシャル』 |
| 2017年5月6日 | 『林修の歴史ミステリー 徳川家260年最大の謎 3000億円埋蔵金大発掘 最終決戦スペシャル』 |
『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』は『ギミア・ぶれいく』の後継番組にあたります。
2016年・2017年の『林修の歴史ミステリー』では、埋蔵金は3000億円として特集され、赤城山中で再び発掘調査が行われました。
1990年から2017年まで、実に27年。
それでも見つかっていません。
NHKは埋蔵金ではなく小栗忠順を取り上げた
「その時歴史が動いた」と一緒に検索されることが多いのですが、こちらはNHKの歴史番組で、TBSの発掘企画とは別物です。
NHK大阪放送局制作、松平定知アナウンサーの司会で2000年3月29日に始まった番組で、歴史の転換点となった出来事の日付を「その時」と定義して掘り下げる構成でした。
この番組は2002年11月20日に、次の回を放送しています。
改革に散った最後の幕臣 小栗上野介 〜一本のねじから日本の近代は始まった〜
つまり同じ時期、TBSは赤城山を掘り、NHKは小栗忠順という人物そのものを扱っていたわけです。
埋蔵金伝説の主役にされた人と、近代化を進めた幕臣。
同じ人物の、まったく違う面が並行して電波に乗っていました。
小栗道子
同じころ、あなたさまご自身を扱った番組もあったのですね。
小栗忠順
一方が赤城山を掘っている時分に、もう一方は一本のねじから始まった近代のほうを取り上げていた。埋蔵金の主役に据えられた男と、造船所を建てた男。同じ一人の、まるで違う面が並んで流れていたわけだ。
一緒に検索される他の番組について
『やりすぎ都市伝説』『クレイジージャーニー』『ハロー張りネズミ』なども徳川埋蔵金と一緒に検索されますが、これらについては徳川埋蔵金の発掘企画としての記録を確認できませんでした。
確認できしだい追記します。
よくある質問
糸井重里さんの発掘で埋蔵金は見つかったのですか
見つかっていません。
江戸時代以降に掘られたとみられる穴や石垣、遺物は多数出ましたが、埋蔵金につながる発見はなく、プロジェクトチームは発掘終結宣言をして解散しました。
いつからいつまでやっていたのですか
1990年6月に始まりました。
発掘期間は「約2年半で計10回」とする資料と「足かけ6年」とする番組企画書で記述が分かれています。
その後1999年に再始動し、大晦日の生中継が行われました。
どこを掘ったのですか
最初は赤城山麓の水野家敷地内にある「源次郎の井戸」跡です。
1999年は長井小川田を含む3か所を掘りました。
いくら埋まっているとされていたのですか
番組では御用金360万両とされ、2016年以降のTBS番組では3000億円という金額が使われました。
掘った跡は今も見られますか
現地の状況については、赤城山の記事にまとめています。
群馬県には、この伝説にちなんだ土産物も売られています。
→ 徳川埋蔵金のポチ袋・お菓子はどこで売ってる?取扱店まとめ
伝説そのものの全体像は、こちらにまとめました。
企画書と糸井さんのコメントはほぼ日刊イトイ新聞「ヘルメットをかぶった経済番組をご一緒に。」によります(2026年8月25日確認)。