徳川埋蔵金はいくらあるとされているのか。

よく出てくる数字は360万両から400万両です。
そして「現在の価値で数兆円」といった表現も、あちこちで見かけます。

この記事では、その金額がどこから来たのかと、現在価値に換算するとどうなるのかを、出どころをたどりながら検証します。

先に結論を書くと、一つの数字には決められません。 理由まで含めて説明します。

徳川埋蔵金はいくら?|3行でまとめると

  • 言われている額はおよそ360万〜400万両
  • その根拠は勝海舟の日記の記述とみられているが、資料の側も「元と思われる」という推測の書き方をしている
  • 日本銀行の物価指数を使って機械的に換算すると70億〜80億円規模になる。ただし換算方法しだいで桁が変わる

「360万両」という数字はどこから来たのか

徳川埋蔵金を扱った資料をたどると、金額の根拠はこう説明されています。
埋蔵されたとされる額はおよそ360万〜400万両。その根拠は、勝海舟の日記にある「軍用金として360万両あるが、これは常備兵を養うための金で使うわけにいかない」という記述が元と思われる、というものです。

ここで注意したいのは、「元と思われる」という書き方です。

勝海舟の日記に「360万両ある」と書かれていたことと、「その360万両が埋められた」ことは、まったく別の話です。
日記が言っているのは、軍用金として360万両あるが、常備兵を養う金だから使えない、ということだけです。

埋めたとは書かれていません。

つまり「徳川埋蔵金は360万両」という言い方は、次の2つを飛び越えています。

  1. 日記の360万両が、そのまま埋蔵金の額だという仮定
  2. その金が消えたのではなく、埋められたという仮定

金額の議論は、この2つの仮定の上に乗っています。

※イラストと会話は、このサイトの案内役として人物の姿を借りたものです。実際の発言ではありません。

小栗忠順

小栗忠順

三百六十万両という額は、どこから出たのだ。

三野村利左衛門

三野村利左衛門

勝さまの日記に、軍用金として三百六十万両あるが常備の兵を養う金ゆえ使うわけにいかぬ、と書かれていた。それが元と見られております。ただ手前が読みますかぎり、その帳面に埋めたとは一言も書いてございません。あるという話と、埋めたという話は、まるきり別のものでございます。

→ 徳川埋蔵金とは|伝説の全体像をわかりやすく解説

現在の価値に換算するといくらか

「徳川埋蔵金 現在の価値」「徳川埋蔵金 何円」という調べ方をする人が多いのですが、ここが一番やっかいなところです。

順を追って換算してみます。

手順1|両を円に直す

明治政府は新貨条例(1871年)により、貨幣単位を従来の「両・分・朱」から「円・銭・厘」に改めました。

日本銀行金融研究所貨幣博物館の解説にある通りで、ここで両は円に置き換わります。

ちなみに幕末の公定相場は、金1両=銀60匁=銭6,500文でした。

手順2|当時の円を今の円に直す

日本銀行は「昔のお金を今の価値に換算する」という質問に対して、企業物価指数と消費者物価指数を使う方法を示しています。

このうち企業物価指数の戦前基準指数(昭和9〜11年平均=1)は、明治34年(1901年)まで遡れます。

年 企業物価指数(戦前基準指数)
明治34年(1901年) 0.469
令和7年(2025年) 912.9

912.9 ÷ 0.469 = 約1,946倍です。

手順3|掛け算する

埋蔵金の額 換算後(約1,946倍)
360万両 約70億円
400万両 約78億円

機械的に計算すると、この規模になります。

この計算を鵜呑みにしてはいけない理由

上の70億〜80億円という数字は、あくまで一つの換算方法で出した目安です。
そのまま「徳川埋蔵金は70億円」と言い切ることはできません。

理由は4つあります。

1. 日本銀行自身が「単純に比較するのは困難」と言っている

日本銀行は、この換算について次のように書いています。

財やサービスの種類によって、価格の上昇率がまちまちであるため、お金の価値を単純に比較することはなかなか困難です

実際、同じ日本銀行の試算でも、企業物価指数で見るか消費者物価指数で見るかで倍率が変わります。
昭和40年と令和7年の比較では、企業物価指数で約2.6倍、消費者物価指数で約4.8倍と、2倍近い開きが出ています。

「今のいくらか」という問いには、そもそも一つの答えがありません。

2. 1868年から1901年までの33年分が埋まらない

日本銀行の戦前基準指数は明治34年(1901年)からです。

徳川埋蔵金が埋められたとされるのは慶応4年(1868年)ですから、その間の33年分は、この指数では埋められません。

その33年間には、西南戦争(1877年)の戦費を不換紙幣の増発でまかなったことによる紙幣価値の下落があり、紙幣で測った米価は戦争前と比べて2倍に急騰しています。
その後、松方正義による緊縮財政で紙幣が整理されました。

動きの激しい33年分を無視した計算だということです。

3. 「数兆円」という数字は別の方法で出ている

インターネット上では「徳川埋蔵金の総額は数兆円」「20兆円」といった表現も見かけます。

これは物価指数ではなく、金の相場や米の値段で換算した数字であることが多いようです。
金1両に含まれていた金の量を今の金価格で評価すれば、物価指数による換算とはまったく違う数字が出ます。

どの数字も、算出の根拠を確認しないと比べられません。
桁が違う数字が並んでいるのは、埋蔵金の額が揺れているからではなく、換算方法が違うからです。

4. そもそも幕末の1両の重みが動いていた

幕末は、貨幣そのものが不安定だった時期です。

日米和親条約(1854年)では洋銀1ドル=一分銀1枚と定められましたが、その後ハリスが「同種同量の原則」を主張して洋銀1ドル=一分銀3枚となりました。
その結果、両替を繰り返すだけで利益が出る状態になり、小判が海外へ流出します。

幕府はこれに対応するため、天保小判の3分の1弱の金含有量しかない万延小判を発行しました。
これが大幅なインフレを招いています。

つまり「1両」が指す中身自体が、この時期に大きく変わっているわけです。

小栗忠順がアメリカで通貨交渉を行ったのは、まさにこの問題を解決するためでした。

→ 小栗忠順とは何をした人か|生涯をわかりやすく解説

そもそも400万両は本当に残っていたのか

金額の検証には、もう一つ別の角度があります。
「400万両が丸ごと消えて、どこかに埋められた」という前提そのものへの疑問です。

飯田泰之さん・春日太一さんは、江戸城では何千人もが働いており、開城の混乱に紛れて1人が200〜300両ずつ持ち逃げしたとすれば、400万両ほどはすぐになくなる、と指摘しています。

計算してみると、1人300両として、1万3,000人ちょっとで400万両に届きます。

埋めなくても消える額だ、という指摘です。
「金が見つからない」ことは、「金が埋まっている」ことの証拠にはなりません。

小栗忠順

小栗忠順

四百万両が丸ごと消えて、どこかへ埋められた。その前提そのものが疑われているわけだ。

三野村利左衛門

三野村利左衛門

江戸城には何千人も詰めておりました。開城の混乱にまぎれて一人が二、三百両ずつ持ち出したとすれば、三百両として一万三千人ほどで四百万両に届きます。埋めずとも消える額でございますよ。

→ 徳川埋蔵金はなぜ見つからないのか|発掘の歴史から考える

沈んだという伝説もある

同じ資料には、埋めたのではなく沈んだ、という別の伝説も載っています。

幕府御用金400万両は蒸気船「早丸」に隠されていたが、久里浜沖の海獺島(あしかじま)付近で暗礁に乗り上げて沈没してしまった、というものです。

同じ400万両という額が、山に埋められたことにも、海に沈んだことにもなっています。
額のほうが先にあって、行き先が後から複数つけられている構図が見えます。

小栗忠順が疑われた理由

徳川埋蔵金の伝説の中心には、勘定奉行だった小栗忠順がいます。

小栗の逮捕理由については、大砲2門・小銃20挺の所持と農兵の訓練が理由だとする説と、勘定奉行時代に徳川家の大金を隠したという徳川埋蔵金説などが挙げられてきました。

しかし、これらの説を裏付ける根拠は現在まで出てきていません。

また、横須賀製鉄所の建設費(4年継続で総額240万ドル)についても、埋蔵金説に結びつけられることがありますが、実際には万延二分金(通称・小栗二分金)などの貨幣の増鋳による貨幣発行益で賄われていたと研究では説明されています。

→ なぜ小栗忠順が徳川埋蔵金の中心になったのか

よくある質問

徳川埋蔵金はいくらですか

言われている額は360万両から400万両です。
ただしこれは勝海舟の日記にある「軍用金として360万両有る」という記述が元とみられているだけで、その額が埋められたことを示す史料は確認されていません。

徳川埋蔵金は現在の価値でいくらですか

日本銀行の企業物価指数(戦前基準指数)で明治34年から令和7年までの倍率(約1,946倍)を当てはめると、360万両で約70億円、400万両で約78億円になります。
ただし日本銀行自身が「お金の価値を単純に比較することは困難」としており、換算方法によって桁が変わります。

なぜ「数兆円」と書かれていることがあるのですか

物価指数ではなく、金の相場や米の値段で換算しているためとみられます。
どの数字も算出根拠を確認しないと比較できません。金額そのものが揺れているのではなく、ものさしが違います。

1両は今のいくらですか

一つの答えはありません。
新貨条例(1871年)で1両は円に置き換わりましたが、そこから現在までの換算は、企業物価指数で見るか消費者物価指数で見るかによって倍率が変わります。
また幕末は万延小判の発行などで1両の中身自体が動いていた時期です。

埋蔵金を見つけたら全部もらえますか

もらえません。
埋蔵物の扱いは遺失物法などの定めによります。発見場所の地権者と発見者が異なる場合、報償金は両者の間で折半することになります。

→ 徳川埋蔵金を見つけたら誰のもの?法律で確認する


埋蔵金にちなんだ商品を探している場合は、取扱店のページがあります。

→ 徳川埋蔵金のポチ袋・お菓子はどこで売ってる?取扱店まとめ


換算に使った物価指数は日本銀行「昭和40年の1万円を、今のお金の価値に換算するとどの位になりますか?」、貨幣単位と公定相場は日本銀行金融研究所貨幣博物館をもとにしました(2026年8月25日確認)。換算はこの記事で機械的に行ったもので、日本銀行が徳川埋蔵金について算出した数字ではありません。

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